お守り(おひかり)なしの浄霊

メシヤ講座・特選集no.96(平成21年1月分)

<前略>

「おひかり」については、小学生の頃貴重な体験を重ねました。浄霊による奇蹟は4歳時に救われて以来途切れることなく日常茶飯事的に起きていましたが、掌から御光の出る様子はこの頃知らされたのです。以前にもお話したことがありますが、叔母が御光を拝することができるようになったことからでした。

普段人の掌からは白っぽい光のようなものが出ているが、「明主様(当時・現在はメシヤ様)、浄霊をさせていただきます」と祈ると、瞬時に金色に変わって力強く放射される、というものでした。様々に実験を繰り返しましたが、百発百中でした。そこで重く感じたことは、「メシヤ様への祈りこそが浄霊には欠かせないことである」ということでした。

「おひかり」を首へ掛け忘れても浄霊ができたことを誰もが体験していたことと併せ考えると、「おひかり」の必要性に疑問符が芽生えた瞬間でした。

こうした疑問符は、教団紛争の実弾的材料に利用されたことを通して決定的なものになりました。そもそもメシヤ様以外で初めて浄霊を取り次ぐことができた人は、メシヤ様の『許す』というお言葉によってできたのでした。そこには「おひかり」というものは介在していません。それらのことから、メシヤ様の『これからは想念の世界で、私に対する想念が根本だからお守り(おひかり)は要らない』というお言葉に出会って、そのまま受け入れることのできた理由です。

『お守り(おひかり)は要らない』というお言葉に対して、当時の理事長が“お守り(おひかり)を下附しなくなった場合の布教に与える悪影響”をさらにご説明申し上げることにより、『それなら印刷しなさい』と御方針の変更をされた旨の話を聞いています。

<後略>

「メシヤ様への祈りこそが浄霊には欠かせないことである」

『これからは想念の世界で、私に対する想念が根本だからお守り(おひかり)は要らない』

浄霊に一番かかせないのは、祈りであり、想念であるということのようです。

《岡山支部HP 信仰の手引き 第1章 メシヤ様の御神格》 より引用させて頂きます。

ある側近奉仕者の言葉として、

「昭和29年6月15日、メシヤ降誕仮祝典を熱海のメシヤ会館でな
さって、その日の夕方に箱根にいらっしやいましたから、メシヤ
様として生活をされたのは観山亭ですね。明主様は
『私はメシヤ
として最高の位についた。今日から皆で私のことをメシヤ様と言
いなさい。私のことをメシヤ様と言えない者はここを出ていきな
さい』
とおっしやいました。そして『最高の位についたのだか
ら、最高の言葉、最高の扱いをしなさい』
と。」

 このように述べられました。
 また、6月17日のご様子の中に、

「メシヤ様は、『太田を呼べ』と仰せになり、その連絡を受け
て、太田氏は作業場から急ぎ駆けつける。メシヤ様は太田氏が足
袋を履いていないことに気付かれ、
メシヤの前に出るのに下袋
を履いていない
とはどういうことだ。長年私の元で奉仕している
ためにいまも同じ気持ちでいるのだろう。
私がメシヤとなった
想念を改めて奉仕をしなければ、今後お許しにならなくな
と厳しく仰せになられる。太田氏はお詫び申し上げると共
に、他の奉仕者にもメシヤ様としての受け止めを確認する。」


とあります。
 また、6月22日には、メシヤ様は、

『日光殿のメシア観音のご神体を私の写真(御尊影)に換えよ』

 と仰せられ、本金の雲盤形式のお額にメシヤ様の御尊影を入
れ、3日間に亘って、日光殿での御参拝は、御簾をおろし、電気を
消して天津祝詞を奏上。「天照皇大御神守り給へ幸倍賜へ」と奉唱
するという「型」を示されました。


 その祭典後、日光殿幹部室(後部和室)に於て会長会議が開か
れ、その時の本部の役員より以下の説明があったということです
が、ついに実行されずに終わってしまいました。


1、「明主様」を「メシヤ様」と申し上げる事になった。
1、「メシヤ様」は最高神であらせられるから今後は最高の敬語を
使用しなければならない。

1、朝夕、祝詞を奉唱する時は「天照皇大御神守り給へ幸倍賜へ」
と唱和させて頂く。

1、御神体はお写真(御尊影)にかわる。
1、お写真の御奉斎の前に御簾をお掛けする。それに伴い御神前の
縦、横を採寸し、見取図を作成して本部へ報告する。


 というものでした。
 そして、しばらくして、7月3日の出来事ですが、

「角○美○子は神山荘で料理をお作りしている時、一寸した心得
違いからガスが顔面にかかり、二目と見られない程に火傷する。
その上、前掛で顔を庇ったのがくっついて、とれなくなる。


 阿部執事は角○氏を急ぎ日光殿の御神前へ連れていき、お詫び
とご守護のお願い
をしてご浄霊を取り次ぐ。

 その一方で、他のお勝手奉仕者も角○氏の火傷を心配し、お側
奉仕の樋○氏を通してメシヤ様にご守護をお願いしてはと、使い
の者が観山亭へ行く。


 樋○氏を通してメシヤ様にご守護をお願い申し上げる。程なく
激しい痛みがおさまる
翌朝起きてみると、やけどのあとはすっ
きりと直り、前より顔の膚がきれいになっていた


 メシヤ様に角○は
「私のように罪深い者がご祈願とご浄霊によりやけどのご浄化を
このようにご守護を頂きました。このご浄化で前より綺麗になら
せて頂きました」

とご報告を申し上げると
『これが唯一の見本だよ。これからは祈願が第一である』
と仰せられる。
『それから”私の様なものが”ということは、これは大いなる間違
いである』

とお叱り給わる。

謙虚と卑下とー緒にしてはいけない。謙虚であるべき所は謙虚
たるべきだが、卑下はいけない。”自分のような者”という事は絶
対に思ったリ言ったりしてはいけない。どんな人でも神の御子で
ある。神様がおつくりになったものである。“自分のような者”と
卑下するのはまるで神様に意見するような形となる
。すべて神様
がなされていることであるから自分勝手に自分を考えてはいけな
。またお前を使っているのはわたしだ。わたしが使う者に”私の
ような者”と言えば神様は変な者を使っているという事になるので
はないか』

と御教え賜わる。」

 というようなことがありました。
 少し前に遡って、4月には、

『これからは想念の世界である。御浄霊は二の問題で、先ず想念
である。お念じしなさい』


 と仰せられておられましたが、このように「メシヤ様」とお呼
びするようになってからは、


『これからは祈願が第一である』

 と仰せられているように、「メシヤ様」の御神格を十分認識す
ると共に、我々のメシヤ様に対する想念、姿勢、祈りが大変重要

なことが理解できると思います。

 人間が神に合わすよう努力する事が重要ですが、信仰をしてい
るという人の中にも、自分が中心で神を従にしているような人が
多く見られるのは、残念なことです。

「入門と奥座敷」p74 参照

昭和29年4月19日、明主様(メシヤ様)は浄化のため、お文字をお書きいただけなくなりました。その後役員会で当時理事長であった木原義彦先生は、お文字を印刷して、御神前でお願いし、御守りとして下付しようと発言され了承されました。しばらくして明主様(メシヤ様)から
お守りはどうしているか』とのお言葉があり、側近の阿部執事が
「木原さんがこのように。申しましたので、このようにさせていただいております」というふうに申し上げたところ、
ああ、それでよかった。それでいいんだ。本当はお守りはなくてもいいんだけどな。入会者の氏名、年齢、職業を私に報告するだけで良い』とのお言葉があったのです。

「大メシヤ様が御降誕」された今、私達の浄霊のありかたが大きく問われていると思います。
良い道具になりきれているのか・・・?
常に、向上を許されていくようでなくては、とてもお使いいただけないのでは・・・!

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